雲版は、禅宗系の寺院で合図に使用した鳴器です。浄泉寺の雲版は、応永22年の銘があり、開山の断江周恩大和尚が持参したものと伝えられています。
縦50.3センチメートル、横46.5センチメートル、撞座11.6センチメートル、撞座は薄肉の鋳出しの蓮花文です。縁はかまぼこ縁で内側に子線を廻ています。裏は鋳出しの無文粗地です。
吊り穴は2個あります。
銘文は、表面中央に「下野国那須栗山大雄禅寺」、右側に「応永22年」、左側に「乙末11月日」とあります。昭和53年に千葉県内には類例稀な遺品ということで県の文化財指定を受けています。
浄泉寺開基 粟飯原豊後守胤光の母の守り本尊であったと伝えられています。
銅造り、像高28.5センチメートル、臂張り17センチメートル、体奥5センチメートルの小柄な像ですが、室町時代の様式がよく表現されています。
台座の背面に「妙観禅尼」の銘があり、この妙観禅尼とは胤光の母であったと伝えられています。
昭和53年に、酒々井町の文化財に指定されています。
この正観世音菩薩立像は、鎌倉時代の様式を模していますが、室町時代の作と推定されます。
像高66センチメートル、臂張り25.5センチメートル、体奥14センチメートル。
いかにも観音らしい温容で、裳裾の様式に宋朝風を取り入れた精巧な彫りで、温容も優れた見事な彫刻です。
境内の観音堂に安置されており、昭和46年に酒々井町の文化財に指定されています。
当時この地方の主権者で佐倉(本佐倉)城主であった千葉氏より、浄泉寺の開基である粟飯原氏に与えられた所領の安堵状(土地の所有権を公に認めた文書)で2通あります。
1通は、明応4年(1495年)第22代 千葉介孝胤公から粟飯原豊後守胤光宛に出された所領安堵状、もう1通は、永正6年(1509年)第23代 千葉介勝胤公から胤光の子胤信に宛てた所領安堵状です。
東国の雄でありながら千葉氏発給の文書の正本(実物)が残っているケースは多くありませんし、千葉氏の本城のあった酒々井町においては、中世の文書は数が少なく大変貴重なものと言われております。
これも酒々井町の文化財に指定されています。
本堂右奥に古くから掛けられていた江戸時代初期の絵師狩野山雪の「寒山拾得図(国重要文化財)」に構図や筆致ともに酷似した掛軸です。
寒山と拾得の飄々とした生き方は、禅の境地にもつながり、多くの禅寺で飾られています。
不気味な描画は見る人の目を捉えて離しません。
ぜひ本堂にお越しの際は実物をご覧になって下さい。