曹洞宗 佛樹山 浄泉寺

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浄泉寺の歴史

浄泉寺の歴史

 浄泉寺の山号は、佛樹山といい、本寺は、常陸国多賀郡杉室(現在の茨城県日立市宮田町)の天童山大雄院というお寺です。

 浄泉寺は、中世この下総一体を治めていた千葉氏一族の建立した寺院で、古文書や銘文などにより由緒が正しく伝えられている稀有な寺院と言われております。そのため江戸時代に刊行された「成田名所図会」や明治16年刊行の「新撰佐倉風土記」などにも詳細に紹介されています。
  • ◆浄泉寺と栗飯原一族

     寺伝によると、開創は、長禄2年(1458年)第22代 千葉介孝胤公(開基 周心院殿月窓常輝大居士)、曹洞宗中興開基は、延徳2年(1490年)伊篠に所領のあった粟飯原豊後守胤光(中興開基 周心院殿寒翁浄泉大居士)が、常陸杉室(現在の日立市宮田町)大雄院三世 断江周恩大和尚を招いて開山、始めは周心院と称し、明応4年(1495年)に、伽藍が完成したと伝えられています。

     粟飯原豊後守胤光が没した後、その子胤信が、父の菩提を弔うため、父の法号をとって周心院を浄泉寺に改称したとされています。

     また、永正6年(1509年)粟飯原豊後守胤光の一族と考えられる粟飯原右衛門三郎が実父左近将監から譲られた、下金山(成田市)、松崎(成田市)、伊篠北方の土地の内、伊篠北方の土地を周心院に寄付しており、天文23年(1554年)、粟飯原豊後守胤光が、本尊十一面観世音菩薩の後背を寄進しております。
    これらのことからも浄泉寺が、粟飯原一族と密接な関係を持つ寺院であることがうかがえます。

     粟飯原氏は、千葉氏の有力な一族で、伊篠に館を構え、千葉氏の亥鼻城時代から、数々の合戦に参加したと伝えられており、古文書に見える粟飯原左近将監、右衛門三郎親子が所有していた下金山(成田市)は、本佐倉城主となった千葉輔胤一族の本領に含まれる土地であることなどからも、伊篠の粟飯原氏は千葉氏の直臣(旗本)であった粟飯原一族であり、浄泉寺は、千葉氏直臣の粟飯原豊後守胤光一族の菩提寺であったことがわかります。

浄泉寺
※ 明和7年(1770年)の寺記によると、当初この周心院(浄泉寺の前身)は、常陸小栗(現在の茨城県筑西市小栗)に小栗周心院として開かれ、その後現在の地に移転したとの説もある。
(参照:成田名所図会より)
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